湘南新宿ラインについて。
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1件〜100件
忙しくとも現実逃避の休憩にブログUPも出来ましたが、今週はそれすらもヤバイのです!!病み上がりというか、まだ病気療養中の女房にも手伝ってもらいながら毎日12時間以上の激務。20代の頃から付き合いある会社とはいえ、20代の頃と同じような仕事の詰め込みされても身体がつ
坂戸中央バス停から「かしてつバス」に乗車しました。乗客は私一人。鹿島鉄道線の廃線跡は南西に向かっていますが、バスは小川鉾田線を西に進み、上山バス停でしばらく停車。交差点を左折すると、水戸神栖線を南下開始します。さて、どこかで下車して駅跡を訪問してみようと思います。昔訪問したことのある駅を予定しています。候補は榎本駅と四箇村駅。まずは榎本駅。最寄りの玉造工業高校バス停で下車します。 バスを下車する...
鉾田駅跡のバスターミナルから鹿島鉄道の坂戸駅跡を目指します。小川鉾田線という県道のほぼ一本道を西へ歩きます。ここまでほとんど歩いて過ごしてます。さすがに足が疲れてきましたが、それよりも何よりもまずかったのが足の裏を負傷してしまったことでした。皮むけ;; しかも両足・・・。普段あまり歩かない、しかもこのご時世で更に歩く機会のないおじさんがちょっと歩くとこういうことになってしまうわけです(泣)途中にコンビニを...
荒野台駅から鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の水戸行きに乗車しました。列車はほぼ真っすぐ北上しながら各駅に停車していきます。各駅で下車する方々はみな鹿島線からの乗り継ぎ客のようで、車内での清算は鹿島サッカースタジアム駅からの運賃を支払うように運転士に案内されていました。その手前の区間の清算についてはどうなるのかはちょっとわからなかったです。列車は西側にある北浦に接近。北浦湖畔駅を出ると北浦も終わって、新鉾田...
鶴来駅から南に歩いて石川線のかつての終点だった加賀一の宮駅跡に向かいます。ちなみに鶴来~加賀一の宮間が廃止されたのは、2009(平成21)年11月のことです。線路跡は駅の南側に出ると西に90度カーブしていきます。そのカーブが終わるところに能見線の本鶴来駅があったそうです。そこで能見線と石川線の線路が分岐していました。能見線はてっきり駅の北側から出ていたと思っていたのですが・・・。後ほど知ることが多いですね~。ち...
北陸本線の敦賀駅にやってきました。ここからちょっと寄り道しようかと思います。前回少し書きましたが、敦賀駅からはかつて「敦賀港線」と呼ばれた北陸本線の貨物支線が港方面に出ていました。その終点だった敦賀港駅の跡地に行こうかと思います。駅前の03番バスのりばから「ぐるっと敦賀周遊バス」に乗車します。前払い一律200円也。「ぐるっと敦賀周遊バス」は敦賀市のコミュニティバスで、名前の通り「鉄道と港のまち」といわれる敦賀...
渋谷川の横。残る高架橋の支柱。カーブして代官山へ。渋谷ブリッジのそばには、地元住民の銭湯「さかえ湯」。渋谷桜丘口を含めて、新宿南口付近に髙島屋が出来る前の雰囲気に似ている気がします。*渋谷駅2021年10月...
妻沼展示館のキハ2002を見学した後、熊谷駅行きの朝日バスに乗車しました。乗車時点では乗客はわたし一人でしたが、徐々に増えていきます。バスは県道を真っすぐ南下し、熊谷市街に入ったかなというところで左折して国道17号に入ります。国道に入ったすぐのバス停で下車することにしました。バス停の名前は熊谷寺前バス停。「蓮生山熊谷寺」というお寺さんの近くにあります。ちなみに読みは「ゆうこくじ」・・・これはまず読めませんね~...
熊谷駅から朝日バスの妻沼行きに乗車して、東武熊谷線の廃線跡を辿ろうと思います。東武熊谷線は熊谷駅と妻沼駅を結ぶ10.1kmの非電化路線で、本線系統にも東上線系統にも属さない東武の孤立路線でしたが、1983(昭和58)年6月に廃止されています。計画では利根川の対岸にある東武小泉線の西小泉駅まで延伸し、太田にある「中島飛行機」まで資材や人員輸送を行うという軍事色の強い目的があったそうです。太田といえば今は
金田駅から平成筑豊鉄道糸田線で田川後藤寺駅までやってきました。次は九州における今回最後のターゲット、後藤寺線に乗車します。3分の乗り換え。車両はキハ140-2067の単行。いいですね~。0番からの出発です。列車は田川後藤寺駅を出発すると西に向かいます。車窓風景が何か変わってきたかなというところで船尾駅に到着。今は駅舎の無いの1面1線の無人駅ですが、かつては石灰石の積み出し駅として賑わっていたそうです。私が記憶...
黒崎駅前駅から筑豊電気鉄道線に乗車しました。筑豊電気鉄道線は黒崎駅前駅から筑豊直方駅を結ぶ筑豊電気鉄道の路線。鉄道要覧には路線名記載のない名無しの路線なんだそうです。走る電車はいわゆる路面電車型ですが、路線は法律上は「軌道線」ではなくて「鉄道線」となるそうです。電車は黒崎駅前駅から西に出ると、徐々に南に向かうようになり、ちょこちょこと駅に停車していきます。乗降は結構あったと思います。昼下がりの時間帯で...
いよいよE4系Maxの定期運用が終わりましたね。予想はしていましたが、最終日の東京駅は葬式鉄な人で賑わったとか(苦笑)。何でいつも最後にこんな大騒動になってしまうのか?それを悪意的にテレビに流す報道機関にも問題がありますが……。いつも言うように私は乗り鉄というか鉄道旅が大好きであって、カメラ好きでもありますが撮り鉄ではありません。いつも旅目線、乗車目線からブログ公開させていただいてます。引退することはかな...
青函連絡船廃止後も道内入りする時に飛行機は利用せず、鉄道かフェリーのどちらかでした。鉄道の場合、大抵は夜行列車の北斗星かはまなす利用。海峡トンネルを抜けるのに快速海峡を利用したのは1回だけでしたが、同じく1回だけ利用したのが函館発盛岡行きの特急はつかり。青森で乗り換えなしなので便利に思えました。1日2往復、それも東北本線盛岡から青森駅間が3セク化する前の、僅かな期間だけの運行だったので利用した方は少な...
今は観光客が大挙して訪れる横浜の臨海部。その昔は海外航路の拠点だった横浜港。山下公園の氷川丸が有名ですが、他の貨客船も多数横浜から出航し、横浜だけでなく日本の近代化に役立っていったのです。その名残として残る赤レンガ倉庫。税関倉庫として約110年前に建てられました。現在は綺麗に整備され、建物内には土産物屋や飲食店が入ります。倉庫としての役目を終えた後、しばらく放置され荒れ果てていました。その頃の写真が...
世田谷線に初めて乗車したのはサラリーマン1年目の時。雑用の撮影で松陰神社を訪ねた時の事でした。まだ都内にこんな電車が走っていたのか!!そう思いながら乗り込んだものです。駅間の短さに路面電車的な匂いを感じます。次々と乗り降りしていく乗客の姿。昔の遺物的な路線ながら沿線住民に根付いています。今では低床タイプの新型車両に置き換えられましたが、のんびりした列車の動きと沿線風景は今もあまり変わらず。時々東急フ...
JR東日本の新幹線は形状もカラーも様々で、東京から大宮駅間はそれらを全て眺められる場所です♪※一部JR西日本のW7系も混ざります今では華やかなJR東日本の新幹線ですが昔は200系のみ。昔の写真をスキャンしていたらこんな200系コラボが。JR東海の0系と100系が並んでいるかのようにも見えますが、グリーンの帯カラーですからJR東日本の200系ですね。コレを撮影したのは北海道帰りの盛岡駅だったと記憶します。網走から特急オホーツ...
古いポジ写真の中から懐かしい昔の鉄道旅がたくさん出てきました。私は撮り鉄ではありませんから乗り鉄目線での撮影が大半です。これは廃止まで半年に迫った深名線に乗車時の一コマ。予定を変更して深川から乗り込んだものの、朱鞠内駅で名寄方面の乗り継ぎ列車は3時間半待ちで断念。折り返しの列車で深川に戻ることに。その時の数時間の乗車時にも色々物語がありました。何れその時の乗車レポートも掲載予定です。 ...
上野発の夜行列車、北に向かう旅人だけでなく、帰省や出張サラリーマンにも人気が高かった急行列車。電車寝台ゆうづるで青森を目指す時に見かけた急行津軽。当時はこれが当たり前だったとはいえ、デッキにまで乗客があふれていました。今では考えられないほど夜行列車が利用されていた時代。急行八甲田を一番人気に、津軽、十和田と青森行きが毎夜運行。北海道目指す旅人は周遊券利用で急行自由席が追加料金不要でしたから、学生の...
青春18きっぷを利用して天浜線に乗ってきてから早1ヶ月。実はあの旅から帰宅後はバスや鉄道に全く乗っていません!!約1ヶ月も公共交通手段を使わないでいられるのは、テレワークな毎日の自営業でもあるからです。おまけに自宅環境は昨春までこんな場所でしたが、今はこんな場所で生活しているからです(笑)。都市部ならでは遊びも楽しかったですが、今は里山サイクリングや虫取りが楽しめます♩夕涼みがてらにガブト虫やクワガタを...
昔のリバーサルフィルム(ポジ写真)を整理していたら懐かしい昔の鉄道写真が多数出て来ましたので、少しずつ紹介していこうと思います。九州南部をオートバイでキャンプツーリングしていた帰り道、この日は鹿児島からフェリーに乗るため日向を目指している道中。高千穂に寄り鉄橋を眺めていたら偶然にも列車が通過。慌てて撮影した記憶があります。まだ国鉄から高千穂鉄道に移管されたばかりの頃ですね。列車に対してとても大きい...
毎日雨続きで外に出られません。コロナ感染的には良いことなんですが息抜きポタも出来ず。そこで始めたのが昔のリバーサル写真(ポジ写真)のスキャン整理。1988年の5月に下北半島を3泊でぐるりと巡った時のモノ。海岸線は国道は林道のような悪路。野平の集落の大半は空き家となり、人気は全くなく。まだ下北交通大畑線も健在でした。尻屋崎に向かう途中でこんな鉱山路線にも出会いました。共に今は廃止されその姿は見られません。...
真壁駅跡や真壁城跡に立ち寄り、再び桜川市バス「ヤマザクラGO」に乗車しました。バスは県道41号つくば益子線を北上。ちなみに並走する筑波線廃線跡のサイクリングロードは、正式には県道505号桜川土浦潮来自転車道線というそうです。土浦を越えて潮来まで続いてるんですかね。今回はどこにも立ち寄ることなく県道を進んで大曽根バス停に到着です。県道沿いのこのバス停が次の目的地の雨引駅跡の最寄りということで下車しました。バ...
筑波山口バスターミナルから桜川市バス「ヤマザクラGO」に乗車しました。ここからは筑波鉄道筑波線の廃線跡を辿ります。廃駅訪問も生業としている私としては(笑)、どこかで下車しておきたいところです。サイクリングロードとなっている廃線跡には、いくつかの休憩所が設けられています。土浦側から・・・虫掛、藤沢、筑波、真壁、雨引。おそらくですが、各休憩所には筑波と同じようにホーム跡があるはず。ということで、真壁を最初の目...
筑波山ロープウェイつつじヶ丘駅から筑波山シャトルバスに乗車しました。バスはまず筑波スカイラインを下り、県道42号笠間つくば道を西に向かいます。しばらく蛇行する山道を下っていき、平地に降りてきました。この辺りにはかつて筑波鉄道筑波線というローカル線の駅がありました。次はその駅跡を訪問しようと思います。ということで沼田というバス停で下車しました。つつじヶ丘からは440円也。 そこから南に歩くこと数分。...
梅雨が明ける前の事ですが、ちょっと変わった道を訪ねました。我が家近くには立派な水道橋があることは報告済みですが、この水路は当然のことながら水源である場所に続いています。谷を渡るように目立つ水道橋がある一方で、大半は地下に水道管が通されているのですが、その水道管の上に道が伸びていて、その名も「水道みち」。今回走ったコースが下記のルートになります。https://ridewithgps.com/routes/36677483東名高速の横浜...
昨日は仕事ついでに横浜臨海部をサイクリングしてきました。旧住まいでは身近な場所でしたが、今やそこを巡るのも一苦労!?たかが1年半ですが、馴染みある場所がとても懐かしく感じます。山下埠頭入り口にある廃線跡のレールです。埠頭の再開発が進んでいますので見られるのも今のうち。本牧の臨海線から伸びる支線は一旦廃止(休止?)になるも、再びレールが敷かれ、復活を予感させましたが、結局そのまま放置されて、再びレールは...
踏切跡(現役時代ここから撮った北王子駅)。北王子駅跡地はマンションになっていました。そのマンションには、線路のようなデザインがありました。刻まれる時刻表。貨物時刻表には載っていないスジがもう一本あった記憶。第1宮江踏切。新幹線下の線路が北王子線。田端操車場まで延びる線路。東北本線並走。王子駅。2004年、現役時代の似たアングル(再掲載)。線路の強弱が目立つ。...
米軍施設に燃料を運ぶために貨物列車の走った廃線跡。レールさえ残っていれば、その痕跡や面影も見られますが、大抵は時間とともに荒れていき、レールは撤去されてしまいます。貨物目的の鉄路は消えゆく一方ですね。撮影機材 OLYMPUS OM-D E-M1+M.ZUIKO DIGITAL PRO12-40mmF2.8☆この今日の一枚コーナーはコメント欄は外してあります。いつも訪問&コメントくださる方々、ありがとうございます♪ブログ村に参加しています。よ...
横浜中心部にはかつて市電(路面電車)がたくさん走っていました。同じ横浜市内でも郊外に住む私にとって市電は遠い存在。それでも母親の所用で中心部に出かけた時は、わざわざ市電に乗せてもらう事がうれしくて。中心部である南区に引っ越した時(前住まい)は、こんな本片手に市電跡を巡ったものです。そして、最初の写真の市電保存館にもよく出かけたものです。そんな横浜市電ですが、実は郊外育ちの私にも身近な場所が。近所の...
可部駅前から乗車したバスは終点の三段峡バス停に到着しました。三段峡のバス停は「三段峡交流広場」という広場にあります。待合所もありました。この広場がかつての三段峡駅の跡地だと思われます。待合所の裏手の様子。裏手には川が流れています。このスペースがいかにも駅跡といった雰囲気でした。そしてこの奥には・・・駅名標らしきものと線路がありました。三段峡駅は広島県山県郡戸河内町滝川にあった可部線のかつての終着駅。現...
可部駅前から三段峡行きの広電バスに乗車しました。ここからは2003(平成15)年12月に廃止された可部線非電化区間を辿ります。可部~三段峡間・・・この時には21もの駅が廃止されたそうです。バスはまず可部の市街を北上、国道191/261号を左折して西進を始めます。バス停にちょこちょこと停車しては乗客を拾っていきます。国道191/261号、上勝木バス停手前の様子。この辺り、特に帰り道でよく見えた南側の丘には新興住宅地、いわゆる
分断された路線も多く、新幹線だって東海道・山陽だけ。でも、そんな時代の鉄道旅は今より楽しかったです。長期の鉄道旅に適したフリーきっぷも多かったし、急行列車や夜行列車もたくさん運行されていましたしね。撮影機材 OLYMPUS OM-D E-M5+M.ZUIKO DIGITAL 12-50mmF3.5-6.3☆この今日の一枚コーナーはコメント欄は外してあります。いつも訪問&コメントくださる方々、ありがとうございます♪ブログ村に参加しています。よ...
東三条駅前から越後交通バスに乗車して弥彦線廃線跡を辿ります。弥彦線の前身の越後鉄道は、海側の弥彦から吉田、現在の東三条と徐々に線路を延ばしていき、計画ではなななんと遥か南の只見まで延伸するつもりだったそうです。どういったルートを考えていたのかわかりませんが、地図を見ると・・・最短経路に国道289号がありますが、道が繋がってません。西に迂回するルートだと、現在の只見線の難所「六十里越」を抜ける必要あり。・・・...
来迎寺駅前から越後交通バスに乗車して、魚沼線廃線跡に沿って進みます。魚沼線は来迎寺~西小千谷間の12.6kmの路線でした。廃止は1984(昭和59)年4月のこと。ローカル線がことごとく廃止されていった時期ですね。その中でもかなり地味目な印象の路線でした。この路線が廃止された要因は素人目から見てもわかりやすいと思います。信濃川対岸にできた上越線の小千谷駅の存在。当時は魚沼線の終点が小千谷駅、後にできた上越線の駅が...
喜多方駅から日中線廃線跡をサイクリングして終点までやってきました。看板のある道を入っていくと、奥に古い建物が佇んでいました。熱塩駅の旧駅舎です。そうです、この様子。手前の高い木を含めたこの駅舎の様子・・・子供の頃によく本で見ていた写真と変わっていないと思います。よくぞ残してくれました。感激です;;熱塩駅は福島県耶麻郡熱塩加納村、現在の喜多方市熱塩加納町にあった日中線の終着駅。開業は1938(昭和13)8月、そし...
喜多方駅前で自転車を借りて国鉄日中線の終点だった熱塩駅跡に向かいます。日中線は喜多方から熱塩を結ぶ11.6kmの非電化路線。計画では米沢まで伸びる予定だったそうです。1984(昭和59)年4月に廃止されるまで、旧客編成の列車が行ったり来たりしていました。1日わずか3往復だったそうです。朝、夕、夜のそれぞれ1往復。つまり日中には列車が走らないのに日中線^^;「日中」という路線名は前々から気になっていたのですが、熱塩のもう...
金楽寺駅跡から更に南に歩きます。この先は住宅地の狭い所を歩くことになりました。住宅の新しさや古さの比較で廃線跡が何となくわかります。しばらく歩くと国道2号に突き当たります。そのすぐ手前、駐車場があるところが線路跡だと思います。奥に国道2号が横切っています。多分踏切があったんだろうなと思います。国道を横断して更に南へ。住宅街の狭い道を進みます。私の予想ではこの道は廃線跡ではなく、右側に並ぶ住宅が廃線跡...
新大阪駅から東海道本線で尼崎駅に移動してきました。3番線の到着です。 尼崎駅は兵庫県尼崎市潮江にある尼崎市の代表駅。阪神にも尼崎駅がありますが、南に大きく離れた全く別の駅です。同じ名前の別の駅・・・関西私鉄ではよく見かけるような気がします。乗り入れ路線は当駅を所属線とする東海道本線と当駅が起点となる福知山線、当駅が終点となるJR東西線の3路線。運転系統でいうとJR神戸線、JR宝塚線、JR東西線・・・。福知山線...
家の片付けをしている中で、こんな懐かしいキップが出てきました。40代以降の方なら馴染みのあった国鉄時代の「ワイド周遊券」です。年号から私の兄が利用したモノと思われますが、自身も同様に周遊券利用の鉄道旅(自転車輪行旅)によく出かけました。日本各地を巡りましたが、やはり北海道の旅が思い出深いです。※写真は函館~網走までを結んでいた特急おおとり昭和60年ごろまでは廃止路線も大半が健在でしたから、20日間有効の...
深夜残業でスッキリしない頭とは裏腹に今朝は晴天のスッキリ空。朝一番で8氏が自転車工具の返却に来てくれました。差し入れの缶ビールをいただきます♪最近自分では第3のビール=リキュールばかり飲んでますので、今夜からは久しぶりに本物のビールが飲めそうです。女房に頼んで晩飯は鍋にしてもらいましょう。只今仕事の原稿の宅急便待ち。客も原稿のデータ化が面倒な時は、宅急便やメッセンジャー頼り。テレワーク推進なんて世の...
日時:令和2年8月24日 13時30分ごろ 住所:福井県永平寺町志比 状況:熊1頭の目撃情報。体長約100センチ 現場:永平寺参ろーど上(京福電鉄永平寺線の廃線跡) ※永平寺駅跡から東古市駅(現永平寺口駅)方面に約300m ※曹洞宗大本山永平寺・龍門から市街地方面に約700m ※国道364号「永平寺門前口駐車場」付近 ...
上田交通真田傍陽(そえひ)線は、長野県上田市の電鉄上田駅から真田町の傍陽駅、途中の本原駅から分岐して真田駅を結んでいました。全長は15.9㎞(本原―真田間...
上武鉄道は、八高線の丹荘駅から西武化学前駅までの6.1㎞を走っていた非電化ローカル線でした。元々は太平洋戦争中のニッケル鋼の増産のため、日本ニッケルの若泉...
こないだの日曜日だけは天気に恵まれましたが、今週に入ってからまた雨の日ばかりが続いていますね。7月に入ってから同じような空模様が続き、COVID-19の感...
今回はこの馬込駅跡から次の停車場だった河合駅跡までを紹介します。前回訪れた際には、「馬込車站建設碑」を見落としていたので、今回は改めてこの石碑を探して見つ...
前回の続きです。今回は河合駅跡から浮谷駅跡までを紹介したいと思います。この区間は岩槻市内を走っていたので、あまり廃線跡らしき箇所は少ないですが、東武野田線...
日本煉瓦製造専用線というのは、埼玉県深谷市にある日本煉瓦製造で製造された煉瓦を高崎線の深谷駅まで運んでいた全長4.2㎞の専用路線でした。あの有名な東京駅(...
武州鉄道はJR宇都宮線の蓮田駅から岩槻、武州大門を経由して川口市の神根までの全長16.9㎞の路線でした。1924年(大正13年)10月に開業しましたが、道...
先日記事にまとめた横浜を走るローカル風情のこどもの国線。それは横浜市内でも郊外的な場所を走る鉄路ですが、市内中心部にもローカル風情の鉄路があります。 それは、鶴見駅を起点とするJR鶴見線。大正時代開業の鶴見臨港鉄道を母体に、今でも京浜工業地帯を中心に
家の片づけが相変わらず続いていますが、こんな懐かしい鉄道漫画が出て来ました♪ マイナーな鉄道漫画すぎて知っている人は殆ど居ない!?少年チャンピオンでほのぼの青春漫画で固定ファンを獲得した、小山田いく作品の「迷い家ステーション」です。国鉄から分離された
BS放送でなく、誰でも見られるNHK総合でこんな廃線番組が!!https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=23328ワクワクしながら息子と見入っていましたが、何と開始7分程度で緊急地震速報のけたたましい警戒音とともに、番組が地震情報に切り替えられてしまいまし
日時:令和1年12月30日 時間不明 住所:北海道紋別郡湧別町旭 状況:ヒグマの足跡 現場:西5線道路 ※名寄本線の廃線跡付近(川西駅~旭駅間) ------------------------ 日時:令和2年1月5日 10時00分ごろ 住所:北海道釧路郡釧路町鳥通東9丁目 状況:ヒグマらしき野生動物の目撃情報 現場:国道391号沿いの山林 ------------------------ 日時:令和2年1月11日 10時3...
是政駅からお散歩がてら近くの駅まで徒歩で向かいます。候補は以下の3つ。・駅から多摩川を渡って南、是政から一番近い位置にある南武線の南多摩駅・駅から北にある競馬場方面の南武線・武蔵野線の府中本町駅か京王の府中競馬正門前駅・駅から多摩川沿いに西へ行って京王の中河原駅この3つを組み合わせて歩くことにしました。まずは府中街道を南へ向かいます。駅の南側にある多摩川を是政橋で渡ります。橋を渡り切るまえに駅が見え...
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湘南新宿ラインについて。
東海道本線について。
東北本線について。
100周年をむかえた山手線について。 世界一の乗降客といっても良いでしょう 世界一の新宿駅や西新宿のビル群の間や 西日暮里みたいな下町も通るよ山手線 そんな日常の風景を書き込んでくださいね ぶらり途中下車〜山手線のたび〜〜〜旅!
日本国有鉄道(国鉄)が既存路線のであった西成線・城東線・関西本線・関西本線貨物支線(大阪臨港線)を利用し、大正〜弁天町〜西九条の区間を新設することで開業させた環状路線。 開業日:昭和36年4月25日 大阪環状線の開業記念事業として、昭和37年1月21日弁天町駅高架下に交通科学館(現:交通科学博物館)が開設されている。 大阪・天満・桜ノ宮・京橋・大阪城公園・森ノ宮・玉造・京橋・桃谷・寺田町・天王寺・新今宮・今宮・芦原橋・大正・弁天町・西九条・野田・福島
第三セクターの鉄道について。
線路のような恋だから
リニアモーターカーについて。 磁気浮上式鉄道(じきふじょうしきてつどう)とは、磁力による反発又は吸引で軌道から浮上する車両を使う鉄道である。東海旅客鉄道(JR東海)では英語の“magnetic levitation”(磁気浮上)を省略した“Maglev”(マグレブ)と表現する事が多い。 主な磁気浮上式鉄道には、ジェイアール式マグレブ(以下JRマグレブ)、HSST、トランスラピッド等がある。2007年現在、世界最高速度は、日本のJRマグレブが2003年に記録した581 km/hである。 車輪が無いので通常の鉄道の様に動輪で推進する事が出来ず、非接触の推進手段を使う。現在実用化されている物は全て、リニアモーターで推進するリニアモーターカーである(実験車両等を含めればその限りでは無い)。一方、リニアモーターカーの中には通常の鉄道の様に車輪で車体を支える物(車輪式)も有るので、リニアモーターカー全てが磁気浮上鉄道という訳では無い。
気動車・ディーゼル機関車について。
電気機関車について関連するブログエントリーのトラックバックコミュニティです。
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都電荒川線の魅力紹介
御来館頂き、ありがとうございます。 当、写真館は今までに撮り溜めた鉄道写真や、 新たに撮影した鉄道写真を紹介しています。
ゆいレール関連
Nゲージでも都市型レイアウトの方を中心にレイウアトにテーマを置いてます。
蒸機列車が多いですが、中にはもう見られない光景も。
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